徳を積む法話4【花弄】氣功上達のコツ

徳を積む 法話4.花弄(かろう)

蝸牛(かたつむり)登らば登れ富士の山』

私が学びの中で特に大切に

している言葉です。

これは、幕末の政治家、

剣、禅、書の達人、

山岡鉄舟の句ですが、

私が還暦を迎え施術に

対して、整体・氣功人生を

自問自答している頃でした。

姉からの電話で、

山岡鉄舟のこの句を

読み上げてくれたのです。

それを聞いて自分は今、

富士登山の何合目

なのだろうかと?

残り少ない自分の人生に、

施術に対しての未熟さと

無念を感じながらも、

この人生で、

富士の頂上を極めたいと

思っていた時でしたので、と

ても姉の言葉が心に

響きました。

 

もう一つ、『華厳経(けごんきょう)』の

経典から薫習(くんじゅう)という、

こんなお釈迦様の説法

があります。

 

お釈迦様が弟子を連れて

街をあるいていると、

道に一本の縄がおちていた。

弟子に、

「その縄はどんな

においがするかね?」

 

拾ってかいだ弟子は

「大変嫌なにおいがします」

 次に一枚の紙きれが

落ちていた。

 「その紙はどんな

においがするかね?」

 

 弟子は

「大変よいにおいがします」

 

 そこでお釈迦様は、

縄は初めからいやな

においがしていた

わけではなく、

いやなにおいのものを

縛ったために人に

嫌がられるようになった。

 

紙切れも初めは

なんのにおいも

なかったのに、

よいにおいの物を包んだ

おかげで喜ばれる紙になった。

おまえたちも、

つとめてよい友を

もたねばならない」

とのお話でした。

もう一つ出会えた

詩があります。

 

唐の()良史(りょうし)

春山(しゅんざん)()(げつ)」という

詩の一節です。

 

掬水月在手

(みずをきくすれば 

つき てにあり)

 

弄花香満衣 

(はなをろうすれば 

かおり ころもにみつ)

 

これは、

「春山夜月」という

詩の一節ですが、

皆さんはどのように受け

止められたでしょうか?

 

詩や名言と言われるものは、

その時の受けての思考、

感情により様々な

捉え方があります。

 

私は、

このように考えます。

 

心がそこに有れば、

水を掬ったとき

その手に月を見いだし、

花を弄すれば衣の香りに

気づくものと、

心の現れを示すもの

であると考えます。

 

そして、

全ての詩には1つの

共通点があります。

 

その色に染まる、

その香りに染まる、

その意識に染まる、

そこに因果、

縁起を感じざるを得ません。

道のみち

私は若い頃、

柔道をやっていました。

初段から1段1段と

登っていくので自分の

 

技量はわかります。

しかし施術、

特に氣功の分野では

自分が何段なのか?

何合目に達しているかが

理解できないでおり

人生に焦りを

感じていたのです。

 

その時の春山夜月は、

鍛錬していれば知らずして

何時しか身につくことを

知りなさいと問いかけて

いるように聞こえました。

「花をろうすれば衣に良い

香りが何時しか染み付く」

このような学びが私には

必要であり、

自分のレベルを知ることや、

自分のためにではなく、

常に人のために尽くすべき

ことが己の修練であり、

衣から染み出て何時しか

到達する世界感を

物語る一説と捉えました。

 

下記の動画も併せて

ご覧ください。