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徳を積む法話3【雲と石】氣功上達のコツ

徳を積む3「雲と石」

石になった私

私が集中治療室で治療を

受けていた時、

もう一人の自分と対話する

自分がいました。

 

普段から俯瞰法の鍛錬を

していたからでしょうか、

もう一人の俯瞰した

自分からのメッセージが

あったのです。

そのときの状況が

円覚寺の横田(よこた)南嶺(なんれい)管長

の法話と同調され、

いま再び蘇ってきました。

 

その詩の内容は、

坂村(さかむら)(しん)(みん) 先生の

雲と石よりの一説です。

 

『雲と石』 

動いてばかりいる雲が

動かない石に言った

石よ

そんなに動かないでいると

馬鹿になってしまいはせぬか

思惟の作用が零になって

かちかちになって

しまいはせぬか

動かない石が動いてばかり

いる雲に言った

 

雲よ

そんなに動いてばかりいると

馬鹿になってしまいはせぬか

思惟の作用が零になって

空っぽになって

しまいはせぬか』

横田管長はこのように

話されました。

 

動かない石が動いてばかり

いる雲に言った言葉、

 

今のコロナ禍、

全ての行事や集会などが

中止となり、

じっとしていることにたいし、

じっとしていることの大きな

意味を見出したいと思う、

こういった時だからこそ、

じっとしていることが

貴重な時ではないのか

と考える、

 

動いてばかりいると

見失っていまう、

そんなものをもう一度

見つめ直して見るときでは

ないかと考えたい、

と述べておられておりました。

 

 

法話を聞いて、

私はこのように考えます。

石からみた世界と

雲からみた世界は全く真逆の、

動と静の世界ですが、

石が雲になって雲の

本質と必要性を知り、

雲が石になって石の本質と

必要性を知ることになります。

 

この時、

集中治療室での私は、

ベッドに横たわる石のようで、

かすかに聞こえる声と、

わずかに見える白い天井

手足の感覚と力は衰え、

まさに身動きできぬ

石のよう。

そこで、

もう一人の雲(今までの自分)

が問いかけました。

 

いままで動きすぎて

立ち止まることも

知らない雲の私に、

一時の石のような動かぬ

休息をあたえてくれた

ことの意味を!

 

じっとしていると

見えてくるものがある、

動き続けているときには

見えないものが見えてくる。

 

そんな天からの

贈り物のような

感覚を覚えています。

 

そして三年が過ぎ、

再び、石の時から少しずつ、

雲の動きがでてきた私ですが、

今までのような、

風の強い時の早い

雲の動きではなく、

無風で穏やかな太陽の下で

漂う雲のような人生を

送っている今が有ります。

石も雲も私にとって

必要な存在、

そんな石と雲に出会い、

心にしみる一説でした。

 

下記の動画も併せて

ご覧ください。